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【大阪の町工場から宇宙へ!人工衛星「まいど1号」発起人 青木豊彦氏×SMBCグループ 磯和啓雄氏】障壁を打ち破るイノベーション思考

約35年前、世界の時価総額ランキングの上位は日本勢がほぼ独占しており、上位10社のうち7社が日本企業でした。しかし2024年、その数はゼロになり、上位100社に入る日本勢は、トヨタのみとなりました。「失われた30年」を経て、今、日本経済は再浮上に向けた転換期にあります。もう一度、世界に対して存在感を示すには、まったく新しい挑戦を始めなければなりません。

イノベーションを生み出すためには、何が必要なのか。東大阪市の町工場が力を合わせ、人工衛星の打ち上げを成し遂げた、「まいど1号」開発プロジェクトの発起人である、株式会社アオキの取締役会長 青木 豊彦氏と、三井住友フィナンシャルグループ 執行役専務 グループCDIO(Chief Digital Innovation Officer)として、デジタル革新を推進する磯和 啓雄氏が、「障壁を打ち破るイノベーション思考」をテーマに語り合いました。

日本に必要な「困難を笑いに変えながら乗り切る力」

青木さまとの出会いと、今回の対談に至った経緯について教えてください。

磯和出会いは数年前までさかのぼります。私が常務に就任してすぐに出席した講演会で、ご登壇されていたのが青木さんでした。青木さんは大阪弁丸出しで、歴代の講演者と比べると異色の存在だったんです。講演終了後に青木さんが「せっかく来たんですから、みなさん名刺交換しましょう」とおっしゃって、長蛇の列ができました。でも私は「このまま、列に並んでいては印象に残らない」と思い、あえてその場で名刺交換はせず、後日「もう一度、ぜひお話をしたい」と名刺を添えてお手紙を書いたんです。

青木さんの著書がまた面白いんですよ。東大阪で創業した小さな工場が、不況を乗り越え、大企業と仕事をし、さらには米国の世界最大の航空機会社であるボーイング・カンパニーの指定工場にまでなるんです。しかも青木さんは英語を話せないんですよ。ボーイングの指定工場ともなれば、細かな指定や英語の書類も多いはずです。そんな困難を、笑いに変えながら乗り切る力。この力は、勢いを失いつつある今の日本企業にとって、もっとも必要な力なのではと思いました。ぜひ、私が感じた感覚を、多くの企業さまに届けたいと思い、今回の対談をお願いした次第です。

三井住友フィナンシャルグループ 執行役専務 グループCDIO
磯和 啓雄氏

人工衛星打ち上げを成功に導いた「仲間づくり」

青木さまにうかがいます。あらためて、人工衛星「まいど1号」開発プロジェクトがスタートしたきっかけを教えてください。

青木プロジェクトがスタートした2000年頃はもっと景気が悪かったんです。当時、東大阪に1万2千社ほどあった工場は、どこも苦しんでいました。「なんとかせなあかん」と、工場を回ると、現場に若い人がほとんどいない。若い人がいないということは、後継ぎがいないということ。後継ぎがいなければ、どれほど腕のある職人がいても、工場に元気がなくなります。若い世代がものづくりに興味をもつ、きっかけをつくらねばと強く感じました。

ただ、「若い人、来てや」と言うだけでは効果は薄いでしょう。一番効果があるのは、自分たちの技術力や挑戦する姿を見せること。そこで、思いついたのが人工衛星「まいど1号」の打ち上げプロジェクトだった。きっかけは若い人に来てもらう、ものづくりに期待してもらうための「手段」だったわけです。まあ、手段以上の効果はありましたね。

株式会社アオキ 取締役会長 / 東大阪市モノづくり親善大使 / 人工衛星「まいど1号」の開発プロジェクト発起人
青木 豊彦氏

今振り返ると、プロジェクト成功のために重要だったことは、何だったと思いますか?

青木仲間づくりです。自分ひとりでできることには限界がある。だから声をかけて仲間を作っていくことです。

たとえば、株式会社アオキは精密な部品をつくる技術と自信はありましたが、宇宙に関する知識は乏しく、指導者が必要でした。そこで産学連携という形から入ったんです。JAXA(宇宙航空研究開発機構)や東京大学、経済産業省など、それまで行ったこともない組織を回って「人工衛星をつくるんだけど、協力してもらえませんか」とお願いしてまわりました。それまでは「江戸がなんだ、大阪だ!」と思ってたんですけど、東京に来るようになって組織力の違いを感じましたね。この力を借りようと思いました。

もうひとつ重要だったのが「資金集め」です。10億という、中小企業では到底捻出できない額の資金が必要で、あちこちにお願いをしてまわりました。最初はうまくいかなかったものの、公益社団法人ACジャパンで放映されたCMが状況を打開するきっかけになりました。
ここから風向きがガラッと変わりましたね。当時首相だった小泉純一郎さんとお会いできたのもその頃です。

とくに大きかったのは、取引先だった大企業の会長を巻き込めたこと。「人工衛星をつくって、日本の中小企業は元気になるのか?」と聞かれ、「プロジェクトが成功したら、不況がなくなります。元気になりますよ。」と答えました。「それはちょっとおもしろいな」と笑ってもらい、最終的には「描くサクセスストーリー次第で、資金を出してもいい」と言ってもらえました。とりあえず資金のあてがついたんです。

結果的には、経産省でのプレゼンがうまくいき、国からの依頼で正式に「まいど1号」開発プロジェクトがスタートしました。私としては、すでに後ろ盾ができていたことで、国を相手にドンと思い切りぶつかれたのがよかったのだと思います。「日本の中小企業は元気出さないといけない、やりましょうよ」と。「(資金を)出さなかったら、損しますよ」くらいの気持ちで臨んでいて、迫力があったはずです(笑)。
振り返ってみてもやはり、重要なのは出会いだと思います。声をかけて仲間を作っていく。多くの人が、口で言うだけで行動が伴ってない。仲間作りしましょうよ。皆が手を組まないといけないんです。

イノベーションの裏にあった、強烈な危機感

磯和さまにうかがいます。「SMBCダイレクト」のリニューアル、「Bank Pay」開発など、銀行の常識にとらわれない事業を数多く手がけています。イノベーティブな取り組みを実践できた背景について、教えてください。

磯和自行に対して、強い危機感をもっていたことが大きかったと思います。

私が入行したころ、住友銀行は時価総額が世界第3位でした。これを言うと皆笑うのですが、私は今でいえば「マイクロソフトに入社した」くらいの気持ちだったんです。しかし、その後どんどん状況が悪化し、2000年ごろには他行と合併するも業績悪化は止まりませんでした。いくらでも不良債権が出てきて、1年に3回も株主総会を開催したこともあります。私はそのとき、株主総会の担当でした。銀行が資本を減資したことは、過去なかったと思います。

「このままでは絶対この銀行は潰れる、なんとかしなければ」と、強烈な危機感をもちましたね。落ちている飛行機に乗っているような感覚で、再び上昇させるために、できることはなんでもやらなければと思っていました。

そのタイミングで「デジタル活用で営業を大きく変える」というミッションが与えられたのです。この機会を逃すわけにはいかないと、最初に取り組んだのは、青木さんと同じ、仲間づくりでした。銀行内の人材だけで、デジタル化を実現させることは難しいと思ったのです。1年で63名のデジタル人材を採用し、当時のIT戦略室を、7名から70名に増やしました。

そうした取り組みを経て、今では銀行員だけでは思いつかないアイデアが次々生まれるようになっています。そのひとつが、お金の管理・支払い・ポイント活用までそろったアプリ「Olive」です。Oliveは現在、300万口座と紐付けられるSMBCグループ主要サービスのひとつになっています。

新しい取り組みは一朝一夕では成りません。Oliveの原型の形をつくり、それが10年かけて発展し、現在の形に結実しました。イノベーションを起こすには、焦らずに長期的な視野で思い切って取り組むことも重要な要素のひとつです。

反対に打ち勝つ、「使命感」と「小さな成功」

お二人が手がけてきた事業やプロジェクトについて、周囲から反対されることもあったかと思います。それでも成功できた要因を教えてください。

青木たしかに「ムリだ」と言われることは何度もありました。ちょうど息子が入社した頃で、息子は「おまえのおやじ、どこ行ってんねん、つぶれるで。なにが人工衛星や」と結構言われたらしいです。ただ私の場合、東大阪のものづくりをなんとかしたいという「使命感」のようなものに突き動かされていて、「やらんとあかんねん」と勝手に思っていましたね。

磯和私も、反対されたことは何度もあります。今でこそ当たり前に使われているインターネットバンキング「SMBCダイレクト」も、最初は反対されました。直接的に、収益につながらなかったからです。SMBCダイレクト自体は、あくまでもお客さまのポータルに過ぎず、それ自体で利益を生み出すものではありませんでした。

それでも、プロジェクトを前に進められたのは、小さな成功を早急につくり出せたからだと思っています。SMBCダイレクトの場合、利用者が少なかった時期に少し改善を加えただけで、アクティブユーザーが一気に増えました。SMBCグループのお客さま約2,000万人のうち、毎月アプリを使っているのはわずか300万人程度だったところから、短期間で100万人近くの利用者増加を実現したのです。

すると、「せっかくアプリがこれだけ使われるようになったのだから、住所変更や口座開設もアプリでできるようにしよう」とほかの人からも新しい提案がもらえるようになりました。新機能が搭載されると、利用者が増え、さらに新しい機能の提案ができる、というサイクルに入ります。サイクルが生まれれば、周囲の反応も変わり、協力してくれる仲間は自然と増えていきました。

とくに、大手企業でイノベーションを起こすには、「早く小さな成功をつくる」ことはとても重要です。小さな成功が次の成功を呼び込み、サービスの拡大につながります。

今まさに、日本の経営者にとって大きなビジネスチャンス

最後に、これから新たな挑戦を始めようとしている若手経営者に向けて、メッセージをいただけますでしょうか。

青木ぜひ「目的は何か?」を明確に意識してほしい。目的がはっきりすると、それだけで自信がつく。ビジネスは最終的には1対1の勝負で、肩書も会社の格のようなものも関係ありません。同じ土俵で戦っている以上、相手が世界的大企業の社長であろうが、迫力で負けてはいけないのです。堂々としていれば、勝手にものは売れる。ただし、うそはダメです。仮に、何か失敗をしてしまったら、すぐに謝ればいいだけの話です。

また、目的が明確なら、自分自身に足りないものが自然とわかります。そうなれば、あとは自分を強くするだけ。自分を強くしようと思ったならば、人に強くしてもらうのが一番いい。ぜひ、周囲の力を借りながら力をつけてください。

磯和今はまさに、日本の若手経営者にとって大きなビジネスチャンスだと思うんです。世界はグローバル化のあと、自由主義と保守主義に大きく分かれつつあり、そのなかで日本は非常に安定した環境にあります。経済的には中国に近く、政治的にはアメリカと強い関係をもつ日本は、世界中から注目されています。でも若手経営者のなかには、このチャンスに気づいていない方も多いと思います。

僕の三十数年のビジネス人生の中でも、今は間違いなくビジネスの好機です。失敗を恐れず、思い切って挑戦してほしいですね。青木さんのように、失敗を恐れずにパワフルにつき進んでください。そうすれば、必ず道は拓けるはずです。

PROFILE
※所属および肩書きは取材当時のものです。
  • 株式会社アオキ 取締役会長 / 東大阪市モノづくり親善大使 / 人工衛星「まいど1号」の開発プロジェクト発起人

    青木 豊彦氏

    中小企業が当初、約8000社集まるモノづくりの町、東大阪で「メイド・イン・東大阪」の人工衛星を打ち上げようと、計画をスタートさせた中心者。2002年7月に設立された「東大阪宇宙関連開発研究会」(東大阪商工会議所)会長。12月には、研究会メンバーのうち5社と共に「東大阪宇宙開発協同組合」を設立、理事長に就任。

    小学校の時に目にしたロケット打上げのニュース映画や、大阪万博で見た「月の石」を通して出会った“航空宇宙”を我が町の活性化のテコとする。もともとチャレンジ精神旺盛で、農業用機械の部品製造が主だった父の会社で新分野開拓に努め、ロボット部品や航空機部品への進出を果たした。「モノづくりにはプライドを持たなければならない」との思いは、同社を世界的航空機メーカーであるボーイング社の認定工場に押し上げた。航空宇宙産業を東大阪の地場産業にしたいというのが夢。「若者がモノづくりに魅力を感じて集まってくる大阪を、世界の楽市・楽座にしたい」と期待する。

  • 三井住友フィナンシャルグループ 執行役専務 グループCDIO

    磯和 啓雄氏

    1990年に入行後、法人業務・法務・経営企画・人事などに従事した後、リテールマーケティング部・IT戦略室(当時)を部長として立ち上げ。その後、トランザクション・ビジネス本部長として法人決済の商品・営業企画を指揮。2022年デジタルソリューション本部長、2023年より執行役専務 グループCDIOとしてSMBCグループのデジタル推進をけん引。

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