〜特集〜 気候変動による財務影響を開示しビジネスチャンスを広げるTCFD提言

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気候変動は企業経営にも影響を及ぼし、金融市場の不安定化につながる可能性が指摘されている。こうした状況を背景に世界の投資家および産業界が注目しているのが企業の気候関連情報を開示する枠組み「TCFD(Task Force on Climate-related Financial Disclosures:気候関連財務情報開示タスクフォース)」である。

企業の気候変動リスクを測る世界共通のモノサシ

2019年5月27日、日本初の「TCFDコンソーシアム設立総会」が東京都内で開催された。総会開催時点でTCFD提言に賛同した国内の企業・機関は162に上り、日本は世界で最も賛同数が多い国となった。同コンソーシアムは、民間主導の団体ではあるが、経済産業省、金融庁、環境省の強いバックアップを得て組成されたものであり、その背景にTCFD提言への高い関心がうかがえる。なぜTCFD提言は、これほど注目を集めているのだろうか。

TCFDが設立された経緯について、日本人2人目の専門委員としてTCFDに参加する三菱商事株式会社サステナビリティ・CSR部長の藤村武宏氏に話を伺った。

「世界の金融セクターは、気候変動が世界経済に及ぼす影響に強い懸念を抱いています。異常気象によるサプライチェーンの寸断、原材料供給のコスト増、低炭素化社会への移行に伴う化石燃料関連の資産価値低下、保険料の増加等、こうした影響が企業の業績悪化、ひいては世界経済の混乱につながる可能性が指摘されています。こうした懸念の中でG20財務大臣・中央銀行総裁会議が金融安定理事会(FSB)に対応を求め、これを受けて2015年12月に設立されたのが、金融市場の安定化を目的とした民間主導のタスクフォース、通称TCFDです。TCFDは、元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ氏が議長を務め、世界各国の銀行や保険会社、投資家等の金融セクター、および事業会社からの代表者、合計32名(設立当時)の民間有識者で構成されています」。

TCFDは2017年6月、「TCFD提言」を発表した。その中身は財務に影響を及ぼすような気候変動関連のリスクと機会についての企業の対応、特にリスクに関しては、これに対するレジリエンス(耐性)を明らかにし、開示することを求めるものである。

各国のTCFD賛同機関数の推移(2019年5月27日現在)

気候関連情報開示の枠組みは、すでにCDP(Carbon Disclosure Project)やCDSB(Climate Disclosure Standards Board)をはじめ複数あった。しかし、気候変動が企業経営に及ぼすリスクとそれに対する耐性を、投資家の目線で見極めるには一長一短があった。そこで、TCFDは、一貫性、比較可能性、信頼性、明確性等を重視し、投資家が投融資判断をする際に対象企業の気候変動耐性を見極めるモノサシとなるような、世界共通の比較可能な気候関連情報開示のフレームワークをつくったのである。

「TCFD提言は気候変動を環境問題というより経営課題と捉えているところが、従来の国際イニシアティブにない特徴です。開示情報も、CO2の削減や省エネといったレベルにとどまらず、利益向上や資産の目減り等、財務にインパクトを与える情報に焦点が当てられています。民間のイニシアティブなので強制力はありませんが、提言から2年で賛同数は世界約800機関(TCFD2019年版現状報告レポート)となり、CDPやCDSB、SASB(Sustainability Accounting Standards Board)といった既存の枠組みもTCFD提言に賛同し、それぞれの枠組みを改定しています。TCFD提言は早くもグローバルスタンダードになりつつあり、その動きは今後加速することが予想されます」(藤村氏)。

「シナリオ分析」は予測の精度より、姿勢を示すことが重要

TCFD提言における開示情報項目は、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標・目標」の4つに分かれている。

「ガバナンス」とは、気候変動に関連するリスクと機会に関する取締役会や経営の役割を開示する項目、「戦略」とは、リスクと機会が企業のビジネス、戦略、財務計画に及ぼす顕在的および潜在的な影響を開示する項目、「リスク管理」とは、気候変動関連リスクについて組織がどのように識別、評価および管理しているかを開示する項目、「指標・目標」とは、リスクと機会を評価し管理する際に用いる指標と目標を開示する項目となっている。この4項目は、業種を問わず全セクター共通で開示が推奨されている。なお、TCFD提言では、実務的手引きにおいて、これらの共通事項に加えて特定のセクターに対しては特有の開示事項が推奨されている。

「TCFDの名称にFinancial Disclosuresという文言が含まれていることもあって、TCFD提言においては、非財務情報である気候関連の対応をすべて定量情報に引き直して開示しなければならないと誤解している方が多いようです。しかし、TCFD提言が求めているのは、取締役会の監視体制や、企業が認識するリスクや機会そのもの、リスク識別や評価のプロセス等々、定性情報が中心です。定量情報となり得るのは『戦略』の中の財務計画への影響やシナリオ分析、および『指標・目標』くらいのものです。また、できるところから始め、段階的に開示を充実させていけばよく、初めから4項目すべての情報を開示する必要もありません」と藤村氏は企業が抱きがちなTCFD提言の誤解について解説する。

開示情報の中で難易度が高いといわれるのが、「戦略」に含まれるシナリオ分析である。たとえば、気温上昇が2℃未満の場合等のシナリオを想定し、気候変動による事業リスクを分析し、その対処法の開示を求める項目である。国内では、TCFD提言への賛同を表明したSMBCグループが、2019年4月に三井住友銀行によるシナリオ分析の結果として「2050年までの水害による物理的リスクの試算結果は総額300億〜400億円であり、影響は限定的」と具体的な数値を開示したことがニュースとなった。大手金融グループでこれほど具体的な数値でリスクを示したのは、世界初の試みだったからである。

「シナリオ分析の難しさはTCFDも理解しており、今すぐ完璧なものを開示することを求めていません。海外でも具体的な数値を出している企業は一握りです。ただ、予測が難しいからといって何も手を打たなければ、今後投資の対象から外されてしまうリスクがあります。シナリオ分析で重要なのは、予測の精度ではなく、気候変動問題とどれだけ真剣に向き合っているか、何をリスクと想定し、どう対処しようとしているかという姿勢を示すこと、それが投資家の評価につながるのです」(藤村氏)。

情報開示媒体については、TCFD提言では財務報告書(有価証券報告書)での開示が推奨されている。これは企業が発行するさまざまな開示媒体のうち、財務報告書が主として投資家向けに発行されていることと、財務報告書における情報は信頼性が最も高いという考え方から来ている。しかし、すべてを財務報告書に記載しなければいけないわけではなく、気候変動が自社の事業に重大な影響を及ぼすような会社でなければ、「戦略」「指標・目標」等は統合報告書やサステナビリティレポート等の企業報告書でもよいとされている(一定規模以上の企業の場合)。

「現時点では、海外でも、財務報告書に記載している企業はごく一部です。当面は、複数の媒体を適宜組み合わせて開示する形になるでしょう。TCFD提言は始まったばかりなので、今後、情報開示が進み議論が深まる中で、よりよい方向性が見いだされていくのだと思います」(藤村氏)。

TCFD提言と推奨される情報開示事項

日本がリードする事業会社側からのTCFDアプローチ

経済産業省は、TCFDの最終報告書が公開されたことを受けて2018年8月に金融機関と事業会社を招いて「TCFD研究会」を発足し、情報開示の在り方について検討を重ねてきた。同年末にはTCFD提言の解説と業種別ガイダンスから成る「TCFDガイダンス」を公開。さらに、2019年5月には金融庁・環境省と連携し、本記事の冒頭でも紹介した「TCFDコンソーシアム」を設置し、オブザーバーとして参加している。経済産業省 産業技術環境局 環境経済室 課長補佐の村尾梢氏は、その目的について以下のように語る。

「TCFD提言は日本企業のイノベーションを促し、日本経済を活性化する好機になると考えています。TCFD提言は、もともと金融セクター主導で策定されましたが、この枠組みを活かして各社が環境技術等の情報を開示すれば、世界中から投資を呼び込むビジネスチャンスになり得ます。さらに、日本は非金融セクターの賛同企業が世界一多いという他国にない特徴があるので、これを活かして『グリーン投資ガイダンス』を作成し、世界をリードしたいと考えています」。

経済産業省 産業技術環境局 環境政策課/環境経済室 課長補佐の平井麻裕子氏は、TCFDコンソーシアムについて「事業会社と金融機関との対話を通じて、企業側から金融に対する要望を盛り込んだ金融機関向けの『グリーン投資ガイダンス』を作成したいと考えています。さらに、コンソーシアムの議論を国内で閉じることなく、世界に発信し、グローバルな議論に発展させることを目指します。2019年の秋には、世界中からTCFD提言に賛同する先駆的企業や金融機関等を招いて『TCFDサミット』を開催し、『グリーン投資ガイダンス』をベースに議論を進めていきたいと考えています」と話す。

TCFDコンソーシアムの構成

TCFD提言対応に特別な作業が必要だとは捉えない

事業会社の代表として、住友化学株式会社にTCFD提言賛同を表明した背景や、今後の取組について伺った。

住友化学には、社長自らが委員長を務める「サステナビリティ推進委員会」が設置されており、そのサステナビリティ活動の一部にTCFD提言への取組が盛り込まれている。そこには各事業部門の統括役員クラスがメンバーに名を連ね、全社横断で審議が行える体制が整っている。同社サステナビリティ推進委員会事務局のメンバーでTCFD提言を担当するレスポンシブルケア部長の伊藤孝徳氏に話を伺った。

「当社は、創業当初から『自利利他 公私一如』の事業精神のもと、社会課題の解決につながる素材の開発やソリューションの提供を続けてきました。また、化学事業者として社会的責任を果たすべく、社会との対話と情報公開を行うレスポンシブルケア活動を積極的に推進し、気候変動問題にもグループ全体で取り組んできました。そのためTCFD提言に賛同したからといって新たな取組を始めるわけではありません」。

TCFD提言の中でも難しいとされるシナリオ分析についても、同社にはその素地があると伊藤氏は説明する。

「私たち化学事業者は、そもそもの事業活動自体にシナリオ分析が織り込まれています。たとえば、化学プラントは5年や10年ではなく20年30年先を見据えて、環境規制はどうなるのか、立地環境はどう変化するのか、どのような災害が起き得るのか等、ありとあらゆるシナリオを予想し、それに適合する設計を行っています。TCFD提言のシナリオ分析も内容は大きく変わりません。私たちは、以前から気候変動が事業に影響を及ぼすことを想定した上で情報を入手・分析し、事業計画を立ててきたからです」。

住友化学のサステナビリティ推進委員会体制図

レスポンシブルケア部 企画 主席部員の高崎良久氏は、TCFD提言における情報開示の取組について「私たちは、TCFD提言が発表される以前から『住友化学レポート』と『サステナビリティデータブック』というレポートを作成し、気候変動の事業影響について定期的に開示してきました。今後は、この数値のまとめ方をTCFD提言用にアレンジして情報を開示していく方針です。どのような開示方法が有効なのかは、コンソーシアムメンバーとの議論を通じて詰めていきたいと考えています」と、情報開示の方針を話す。

住友化学は今後、TCFD提言をどのように活用しようと考えているのか、再び伊藤氏に話を伺った。

「本来TCFD提言は外部への情報開示が目的ですが、私たちはこれを社内の理念共有にも活用したいと考えています。社員一人ひとりに『なぜTCFD提言が必要なのか』を理解してもらうことが、『事業活動をもって社会に貢献する』という弊社の理念を社内に根付かせる機会になると考えており、それがTCFD提言に取り組むもうひとつの意義と捉えています。なお、弊社では、温暖化対策や環境負荷低減に貢献する製品や技術を社内認定する『スミカ・サステナブル・ソリューション』という活動にも取り組んでいるのですが、TCFD提言を機にその認定候補製品の開発を活発にし、ビジネスチャンス拡大と、従業員のモチベーション向上にもつなげられたら、さらに望ましいですね」。

環境に配慮した製品を認定する「スミカ・サステナブル・ソリューション認定証」
環境に配慮した製品を認定する「スミカ・サステナブル・ソリューション認定証」

開示ゼロは「何も対策していない」と同義である

機関投資家である第一生命保険株式会社は、TCFD提言をどう捉えているのだろうか。同社 総務部 ファシリティサービス課 次長 兼 ファシリティサービス課長の小川隆氏に話を伺った。

「生命保険業は、国民生活の安定に貢献する公共的性格を有しているだけではなく、1,000万を超える契約者の皆さまからお預かりした保険料を原資として資産運用する機関投資家としての社会的責任があると考えています。気候変動は、当社の事業基盤である社会と金融市場に大きな影響を与え得る問題ですから、TCFD提言には全面的に賛同しています」。

運用企画部部長 兼 運用調査室長の竹内直人氏は「投資家から見ると、気候変動関連の情報開示をしていない企業は、仮に対策をしていてもリスクを認識していない、あるいは何も対策していないと判断されてしまいます。つまり、こうした企業は、ESG投資の視点から評価が低くなる可能性があるということです。なお、TCFD提言の4つの開示項目の中で、私たちが一番重視しているのは『ガバナンス』です。企業の経営陣が気候変動にどう向き合っているのか、社内に気候変動のリスクと機会について議論するフレームワークがあるのか等、企業の姿勢を知りたいからです。気候変動のように長期かつグローバルな課題と向き合える企業であれば、ほかの課題が出てきても対応可能と判断できます。そういった広い意味でのサステナビリティの観点からも、『ガバナンス』項目の開示は非常に重要です」と説明する。

TCFD提言に関する課題は認知度が低いことだと、竹内氏は話す。2018年の冬に生命保険協会が企業1,206社、投資家230社を対象に行ったアンケートによれば、TCFD提言を「よく知らない」と回答した企業・投資家がそれぞれ約3割と、最も多かったという。

「気候変動が企業にどう影響するのか。なぜTCFD提言に対応する必要があるのか。機関投資家として、私たちには投資先企業の理解を促進する役割があると考えています」(竹内氏)。

その目的を実践するべく、第一生命は2019年から投資先企業約250社と対話する機会を設け、気候変動問題への理解とTCFD提言の活用を促す活動をスタートさせた。特に、気候変動リスクが高いと想定される数十社に対しては早期の情報開示を促すという。ESG投資が重視されるこれからの時代、TCFD提言は投資家にとって必要不可欠な判断材料になるに違いない。

第一生命のESG投資推進体制

気候変動対策は、財務に直結する経営課題

TCFD提言で気候変動リスクを開示すると、企業イメージが低下するのではないかと懸念する企業も少なくない。その懸念を持つ企業に対し、藤村氏は以下のアドバイスを送る。

「TCFD提言は、気候変動リスクをチェックする健康診断のようなものです。健康診断でリスクを早期発見できれば、おのずと対処法も見えてきます。また、TCFD提言には事業リスクをすべて開示しなければならないという義務はありません。開示しないまでも、今後の事業戦略立案に役立つリスクの認識自体に価値がありますから、どの企業も健康診断には取り組むべきだと考えます」。

一方、IRやCSR部門の担当者からは、TCFD提言に取り組むと開示情報が増えて業務負荷が増大するのではないかという不安の声も上がっている。この不安については、住友化学のケースからもわかるように、すでになんらかの環境側面のシナリオ分析を行っている企業であれば、TCFD提言に対して情報の編集方法や切り出し方を変えるだけなので作業負荷が急激に増えるとは限らない。

開示内容については、TCFD事務局もまずは「ガバナンス」と「リスク管理」を開示し、「戦略」や「指標・目標」は3年くらいかけて開示することを推奨しており、4項目すべての開示を求めているわけではない。

「日本人は真面目なので常に100点を取ろうと全力で頑張りますが、TCFD提言に関しては100点を狙うのではなく、できるところから開示すればいいと割り切って、まず一歩を踏み出すことを優先すべきと思います。ただし、TCFD提言が求める気候変動対応は『地球にやさしい取組』といった社会奉仕的な意味はなく、会社の存続に直結する経営課題であることを、経営者は自覚し取り組むことが重要です」(藤村氏)。

TCFDは民間メンバーで構成されているとはいえ、設立にFSBがかかわった経緯から、世界中の中央銀行や金融監督当局の関心を集めている。たとえば、ヨーロッパ、中国等の中央銀行や日本の金融庁も参加する「気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク(Network for Greening the Financial System;NGFS)」は、2019年4月に発表した報告書において、金融監督行政にTCFD提言を反映させることを提案している。また、サステナブルファイナンスの確立に向けて金融規制の見直しを進める欧州委員会(EU)は、非財務情報に関するガイドラインの改訂にあたってTCFD提言の内容を盛り込むことを検討している。今後、EUでサステナブルファイナンスが法制化されれば、他国でも同様の取組が進み、気候変動の影響と企業経営はますます切り離せないものになるだろう。こうした世界的な事業環境の変化を見極め、気候変動による事業リスクを可視化し、ビジネスチャンスをつかむためにTCFD提言を活用していくことが、これからの企業に求められている。

取材協力(本記事 登場順)

  • 三菱商事株式会社
  • 経済産業省
  • 住友化学株式会社
  • 第一生命保険株式会社