世界人口の急増による食料需要の増加や異常気象の頻発化、地政学的リスクの高まりにより、世界の食料供給は多くの課題に直面している。特に輸入依存度が高い日本は、グローバルな需給の逼迫や価格上昇の影響を受けやすく、食料自給率の向上と安定的な供給体制の確立が急務となっている。
とりわけ、日本人の主要なたんぱく源として食文化を支える魚介類は、海洋環境の悪化やこれまでの過剰漁獲の影響により、国内漁獲量や自給率がここ数十年で大幅に低下している。また、漁業に次ぐ水産業の柱とされる養殖業も課題を抱えており、特に主流である海面養殖では、餌の残留物や魚の排泄物が水質や海底を汚染し、生態系に悪影響を与える可能性が懸念されている。水産業が直面するこれらの課題を解決し、持続可能な形へと転換を図らなければ、日本の食卓から魚が姿を消す未来が現実のものとなる恐れがある。
こうした状況下、三重県津市においてアトランティックサーモンの大規模陸上養殖施設を開発するプロジェクトが開始された。このプロジェクトに対し、2224年5月、三井住友銀行は330億円のプロジェクトファイナンスを組成し、資金面での支援を行っている。同施設では、現在輸入に依存しているアトランティックサーモンを、陸上養殖によって国内で年間約1万トン生産することを目標としている。
本件を担当した同行のストラクチャードファイナンス営業部 速水は、その意義について次のように語る。「サーモンの生産大国であり、養殖技術が進んでいるノルウェーでは、環境負荷が高いとされる海面養殖に対する規制が強化されている状況です。陸上養殖は、水産業が抱える多くの課題を解決し得る技術です。世界最大規模の陸上養殖施設を開発する本プロジェクトが成功すれば、水産業を取り巻く課題解決に資する重要な事例になると考えています」


環境負荷を大幅に軽減
しながら、安全で新鮮な
魚を生育する陸上養殖
同施設では、完全閉鎖循環式陸上養殖システム(以下、RAS)を採用している。RASは、魚の成長段階に応じて小型の水槽から徐々に大型の水槽へ移動させ、水槽内では水を循環させて自然に近い水流を作り出すことで、サーモンにとってストレスの少ない最適な生育環境を実現する。また、養殖で使用した水はバイオフィルターでろ過して再利用することで排水量を削減するとともに、餌や排泄物も施設内で適切に処理して海洋への流出を防ぐため、環境負荷を抑えた持続可能な養殖を可能にする。
さらに、陸上養殖は、海面養殖と比べて魚を汚染する病原体や寄生虫の侵入リスクがきわめて低く、無投薬での養殖が可能なため、より安全で付加価値の高い食料を市場に供給できるというメリットがある。加えて、これまで輸入に依存していたアトランティックサーモンを国内で生産することが可能になるため、新鮮な商品を直接需要地に届ける地産地消モデルが実現する。これにより、三重県津市での新たな雇用創出、輸入時に必要だった航空機輸送に伴うCO2排出量の削減、そして日本の食料自給率の向上にも寄与することが期待される。
速水は、この事業がもたらす多面的な価値について「今回の陸上養殖事業は、さまざまな社会課題の解決につながり、長期的に世の中に必要とされるビジネスだと確信しています。だからこそ、銀行としてこのプロジェクトを積極的に支援することが重要だと強く感じていました」と想いを語る。しかし、実際にプロジェクトファイナンスを組成し、融資契約を締結するまでには、大きなハードルをクリアする必要があった。


生き物を扱う
プロジェクト
ファイナンスの難しさ
プロジェクトファイナンスは、特定の事業が生み出すキャッシュフローを返済原資とし、同時にその事業資産を担保とする融資手法で、インフラ開発事業などのプロジェクトで活用されることが多い。ところが、今回の陸上養殖事業で扱うサーモンは生き物であるため、通常のプロジェクトとは異なる特有のリスクや課題が存在した。その難しさについて、速水は次のように語る。
「今回のプロジェクトファイナンスは、これまで取組実績のない分野でした。そのなかでも、生き物を扱う事業特有の多様なリスクを詳細に分析し、検証する過程には多くの難しさが伴いました。具体的には、養殖の途中で魚が死亡してしまうリスク、病気の発生リスク、餌・卵の安定供給リスク、さらにはサーモンの国内需要や価格変動に関するリスクが挙げられます。これらのリスクのいずれかが顕在化した場合、プロジェクトそのものが成立しなくなる可能性がありました」
本件の融資検討は2020年頃に開始され、プロジェクトファイナンスでは前例のない事業分野で難易度も高く、慎重な検討が求められた。しかし、ストラクチャードファイナンス営業部では従前より、社会経済の発展の礎となる新たなインフラ事業に対して先駆的に対応を進めてきた経験がある。伝統的な手法に限らないファイナンスへの挑戦が始まった。
案件検討が本格化するなかで担当となった速水は、事業特有のリスクを見極めるため、専門家や関連部署との協議を重ね、情報収集を徹底した。サーモンの価格動向や、流通コストに関する市場調査や大規模施設の生産能力調査を実施し、リスクの整理と対応策の検討を進めたほか、行内での説明にも注力した。さらに、前例のない融資であったため、契約書の協議や銀行団の組成などにも多くの時間を要したが、お客さまをはじめ多くの関係者の協力により、融資契約の締結を成功させた。
サステナビリティ分野で
のプロジェクトファイナ
ンス活用に高まる期待
契約締結後には陸上養殖事業に関心を寄せる事業者からの問い合わせが相次いでおり、本件を契機に陸上養殖分野でのプロジェクトファイナンス活用に対する期待が高まっている。
同施設が実際に稼働し、本プロジェクトの国産のアトランティックサーモンが店頭に並ぶのは2027年の見込みだ。
速水は今後について、「融資契約の締結はスタート地点に過ぎません。本プロジェクトが成功を迎えるまで、引き続き密に関わっていく必要があります。また、今回のプロジェクトで陸上養殖分野に関わることができたことを踏まえ、今後も社会の持続的発展に資するさまざまな分野でプロジェクトファイナンスの手法を活用し、社会的価値を創造できる機会を見つけていきたいと考えています。前例のない新しい技術や事業への融資は、多くの課題や苦労が伴うこともありますが、長期的な視点で見れば、社会に大きな恩恵をもたらす可能性を秘めています。そのような『未来への投資』となるような大切な取組を、これからも増やしていきたいと思っています」と意欲を示した。

