2025年度 第1期
大塚隼人
信州大学 特任准教授
例えるなら「おにぎりに巻いたラップ」。超高速の気体分離膜で工業炉のCO₂削減へ
採択研究テーマ
省エネルギー・低コストなオンサイト型酸素富化空気製造技術で実現する年間1億トン超のCO2の排出削減
信州大学の大塚隼人氏が取り組むのは、酸素と窒素を超高速に分離できる気体分離膜を核に、工業炉に設置できるオンサイト型の「酸素富化空気製造装置」の実現です。濃度30%程度の富化酸素(酸素濃度の高い空気)を工業炉に供給することで燃焼効率を高め、燃料使用量とCO₂排出の削減を目指します。
インタビュー
"ほぼ同サイズ"の酸素と窒素を「ラップの隙間」で分ける!?
「ラップでおにぎりを包むと、ラップとおにぎりの間にわずかな隙間ができますよね。あの“隙間”を使って、空気中の酸素と窒素を分けています」
大塚氏が説明する気体分離膜の仕組みの鍵になるのが、分子サイズの穴を持つ多孔質材料「ゼオライト※1」と、極薄のグラフェン※2です。空気の約8割は窒素、約2割が酸素。わずか20%の酸素が、私たちの燃焼やエネルギーの効率を左右していますが、もし空気の中の酸素だけを少し増やせたら、燃焼はどう変わるのでしょうか。
一般的に、空気中の酸素濃度が高まるほど、窒素による“熱の持ち出し”が減って燃焼効率が高まります。酸素を濃縮するには残りの窒素を分けて取り除くのがもっともシンプルな発想ですが、酸素と窒素の分子サイズは極めて近く、酸素が0.346nm(ナノメートル)、窒素が0.364nmで、その差は0.18Å(オングストローム※3)程度。つまり、原子の世界でも酸素と窒素はほとんど同じ大きさです。
「気体分離は分子のサイズ差を用いることが多いのですが、酸素と窒素は“ほぼ同サイズ”です。そこで、サイズ差だけではなく、特定の分子が好んで入る空間の設計が必要だと考えました」
鍵になるのが、ゼオライト結晶の周りを、厚さ1nmに満たない極薄のグラフェンシートで包み、結晶とグラフェンの間に分子が出入りできる微細な空間です。冒頭の大塚氏の説明は、「おにぎりをラップで包むように外側にグラフェンを巻き付ける」という発想を端的に表しています。
※1. ゼオライト:内部に微細な孔(細孔)を無数に持つ、アルミノケイ酸塩の結晶性鉱物です。ゼオライトの細孔は分子を吸着する機能を持ちます。
※2. グラフェン:炭素原子が蜂の巣状に結合した、厚さが原子1個分の2次元シート状物質です。高い強度や熱伝導率などの特性を持ち、半導体や次世代材料の分野で注目されています。
※3. オングストローム:原子や分子、光の波長など極小の長さを表す単位(Å)。1Åは10−10m = 0.1nm(ナノメートル)と定義されるため、酸素と窒素のサイズ差は0.018nm =0.18Åとなります。これは窒素分子のサイズの1/20程度の差しかありません。
ゼオライト表面とグラフェンの間にできるナノ空間(ナノメートルサイズのすき間)を用いる方式の最大の利点は、気体分離の速さです。従来からよく使われる「穴(点や細い通り道)」ではなく「面として広がる空間」を使うことで、分子の通り道そのものを太くし、面状のナノ空間をガスが滑るように移動できるようになっています。
「僕らが開発に成功した約3cm角の膜を用いた手のひらサイズの装置では、毎分数Lの富化酸素を供給できます。これは従来方式の分離膜に比べて1,000倍以上高速です」
また、ナノ空間は静電相互作用(分子間の電気的な引力・斥力)などを手がかりに精密に調整できることや、特定の分子が入りやすい“居場所”をつくりやすいことも特徴です。
「もっとも需要が見込まれる酸素と窒素の分離膜からスタートしましたが、同じ手法で、アルゴンガスや水素・アンモニアの分離膜にも応用できる可能性があります」
開発中の酸素富化モジュールでは、窒素を選択的に分離する膜を用いて濃度を高めた酸素と窒素に分けられます
深冷分離の“重さ”を外し、工業炉へ30%富化酸素をその場で届ける
金属やセラミックスなどの材料を高温で溶解させる工業炉では、酸素濃度が30%程度の富化酸素燃焼※4を用いることで、炉のダメージを抑えつつ燃焼効率を高められます。しかし現在の酸素製造は、空気を-200℃程度まで冷却し、沸点差で蒸留する「深冷分離法※5」が主流です。
※4. 富化酸素燃焼:空気中の酸素濃度を高めた「富化空気」で燃焼させ、窒素による熱の持ち出しを減らして燃焼効率を上げる考え方です。工業炉では、耐火材の観点から酸素濃度30%程度が現実的とされています。
※5. 深冷分離法:空気を約-200℃まで冷却し、窒素と酸素の沸点差を利用して蒸留分離する方法です。大規模な設備と冷却のための電力が必要で、製造した酸素の輸送も含めてコストがかさみます。
「空気を冷却し、巨大な蒸留塔を動かすには、莫大な電力が必要です。さらに、製造された濃度99%以上の“純酸素”を各地の工業炉まで輸送するためのコストが大きく、また希釈・検定の必要もあるため、鉄鋼業や製造業にとって重荷となっています。自前で富化酸素の装置を運用している施設は、国内では限られています」
そこで大塚氏が提案するのが、それぞれの工業炉に必要な濃度の富化酸素を“オンサイト・オンデマンド”でつくる方式です。深冷分離のように「大規模設備でつくって運ぶ」のではなく、小型の高速分離装置で「使う場所で必要な濃度をつくる」ことで、設備・電力・輸送の重さをまとめて外す狙いがあります。
ランニングコストについては、電力で空気を-200℃程度まで冷却する深冷分離と比べて、6分の1程度まで下げられる可能性があると試算しています。分離膜方式では、空気を分離するための圧力差をつくるポンプを動かす電気代が主なエネルギー消費となるため、非常に省エネルギー性が高いです。
また工業炉には、熱源に電気を用いる「電炉」と、ガスなどを使う「直火炉」があります。新しい分離膜方式の酸素富化装置は燃焼を伴う直火炉と組み合わせて使うのが基本です。国内では大小合わせて約1万基の直火炉が稼働していますが、開発中の装置が獲得可能な市場規模は約650億円と大塚氏は見積もります。
「仮に国内の全工業炉に装置が導入された場合、CO₂排出量は最大1.12億tの削減、燃料費は約2.8兆円削減と、脱炭素社会の実現に向けても大きなインパクトが期待できる。
でも、まずは“燃料費が下がる”ことが、現場にとっては一番分かりやすい価値だと思っています。
コストが下がったうえで、CO₂の排出も減っていく。当技術は経済性と環境性を兼ね備えています。」
高速に富化酸素を供給できる装置の基本構成です。従来よりも小型軽量化できるため、大規模な工業炉だけでなく、中小規模の工業炉にも導入できる可能性があります
4年支援と使途の自由度が決め手になった、応募の舞台裏
社会実装を見据えた研究で難しいのは、研究室の成果を「使える装置」まで引き上げるための、継続的な資金と体制の確保です。企業との共同研究でも、スタッフの人件費などの間接経費が大きな負担となることが多く、企業からの期待と研究の現実の間で悩むこともあったといいます。
「シャカカチ RISE PROJECT(以下、RISE)の支援は大学側では『委任経理金』に当たり、資金をほぼそのまま研究に使える点がありがたいです。4年間の継続支援と研究費の使途の自由度の高さが、応募の決め手となりました」
応募のきっかけは、大塚氏と共に事業化を進めている高校時代の友人が、RISEの広告を見つけたことでした。「こんな面白いのがあるから応募してみて」と勧められたことが背中を押したといいます。そして「採択が決まった瞬間」を、こう振り返ります。
「正直、安堵しかなかったです。実は来年度の人件費をどこから出すかが決まっていなくて、そこが一番の不安だったからです。僕らの研究室は研究特化で、研究員や学生を雇って研究を進めていますので、お金がないと研究が進まない。継続して研究できる見通しが立ったことが、まず何より大きかったですね」
申請書づくりでは、読む相手を広く想定し、研究内容を「現象として理解できる形」まで分かりやすくする工夫を重ねました。
「科学の素養がある方が審査する前提はありましたが、新規事業開発を担当されている方が読むことも考え、申請書では研究の理論的中核はかなり削ぎ落としました。そのうえで、現象として理解できる形に落とし込み、技術がもたらす『社会的価値』を強く意識しました」
研究はすでに膜性能の評価から、空気を入れて濃縮度を確認する「混合ガス分離」モジュールの試作へ進み、圧力の偏りをなくすための設計やガスの流れなど、装置側の開発を進めています。
「まずはスケールアップが目標です。小型の工業炉でも、現在の3cmサイズの膜が2,000枚以上必要となります。膜の性能を最大限発揮するには、ガスの流れなど多くのパラメータの検討も重要です。そのため現在は、流体力学を勉強しながら高効率なモジュールの試作を進めています」
研究室で酸素富化モジュールへの効率のよい供給圧力を実験する大塚氏。装置のスケールアップに向けた研究はもう始まっています
事務局クロストーク
難題を突破して仲間たちと次の時代へ。実証の先に見据えるエネルギー産業のアップデート