2050年に向けて、脱炭素社会への移行が進んでいる。その中で、燃やしてもCO2が発生しない水素が、石油や石炭といった化石燃料の代替となる次世代エネルギーとして注目されている。米国は、2023年5月に「クリーン水素戦略」を発表し、2030年までにクリーン水素の生産量を年間1千万トンに増やすことを目指している。EU諸国も、2030年までに域内での水素の生産・輸入量をそれぞれ1千万トンに増やす予定だ。
一方、水素は生産や供給インフラ整備にコストがかかり、供給価格は既存燃料の数倍となる可能性がある。水素の普及には課題も多いが、日本においては既存燃料と水素との価格差や、インフラ整備に対する政府支援の準備が進んでいる。加えて、資金面で後押しすべく、2024年8月27日、三井住友フィナンシャルグループ、トヨタ自動車、岩谷産業が共同会長を務める「水素バリューチェーン推進協議会」(以下JH2A)が、三井住友DSアセットマネジメント、アドバンテッジパートナーズと共に、水素関連分野への投資に特化したファンド「Japan Hydrogen Fund」を設立した。
今回、三井住友フィナンシャルグループ サステナブルソリューション部の長沢、白野、桝谷の3名が、これまでの水素に対する取組や普及に向けた課題、SMBCグループとしての今後のビジョンや展開などについて語った。
水素市場
黎明期からの取組
SMBCグループは、2015年に本邦初となる商業用移動式水素ステーションのリースでの取扱を開始。その後、中部圏水素利用協議会といったコンソーシアムに参画するなど、水素分野での取組にいち早く着手した。市場の黎明期だった当時、なぜ積極的に関わってきたのだろうか。そこには多面的なメリットを持つ水素が秘める可能性が関係していた。
長沢
脱炭素に向けた動きが世界的に加速するなか、水素は大きな役割を果たす可能性を秘めています。まず、燃焼時にCO2を排出しないことが重要な特長です※。さらに、水素は電気に比べて運搬や長期保存が容易と言われており、発電、製鉄・ボイラーなどの熱源、さらに工業原料として利用することも可能で、幅広い分野での脱炭素に貢献可能です。しかし、このようなメリットを持っていても、普及しなければその価値は発揮されません。エネルギー転換に向けては、水素市場の創出が急務であることから、SMBCグループは早い段階から取組を開始しました。

※ 再生可能エネルギー由来、化石燃料+CCS(Carbon dioxide Capture and Storageの略。CO2を分離・回収し、地中などに貯留する技術のこと)など、水素製造に伴うCO2排出量が一定量以下の「低炭素水素」の利用拡大が検討されている。
そもそも、銀行が新たな市場創出に取り組むというのは聞きなれないものだ。通常は、ある程度事業化が見えたタイミングで支援を行うことが多いが、水素分野は例外であったという。
桝谷
水素は、脱炭素という社会課題解決と、事業機会創出による経済成長を両立できるポテンシャルがあるため、金融機関として取組を推進する意義は大きいと考えました。一般に、新しい市場を創出するには数十年以上を要すると思われますが、2050年カーボンニュートラル達成という目標から逆算すると、水素の市場形成は急速に進める必要があります。そこで、金融機関の垣根を越えて、官民一体で市場形成を推進する姿勢が必要だと感じました。

水素社会の実現に向けて、 日本は2017年に世界初となる水素の国家戦略「水素基本戦略」を策定した。2020年10月には、菅義偉内閣(当時)が2050年までにカーボンニュートラルを目指すことを宣言し、脱炭素とエネルギー転換は重要課題として認識された。現在、水素は脱炭素実現に不可欠なエネルギーの一つとして位置づけられており、2030年に国内で年300万トンの供給目標が掲げられている。
長沢
現状、国内で利用されている水素は約200万トンありますが、そのほとんどは製鉄所や製油所で副産物として生じたものが事業所内で消費されており、エネルギーとしての水素が一般に流通しているとは言えない状況です。2030年に水素供給量300万トンという日本政府が掲げる目標を達成するためには、水素の供給量を増やすとともに、さまざまな場面で水素を活用する土壌を整えることが求められます。


将来的に水素社会が実現した場合、私たちの生活はどのように変わるのかという点にも目を向けてみよう。まず、火力発電所で石炭や天然ガスと混ぜて発電燃料として利用したり、工場のボイラーやバーナーの燃料、製鉄で利用するなど産業分野での活用が期待されている。また、水素とCO2を原料とする合成メタンや航空燃料(SAF)製造の可能性もある。
身近なところでは、水素の充填拠点である水素ステーションが街中に普及し、水素を燃料とする水素自動車の購入・利用がしやすくなる。トラックやバスのような商用車でも、水素が活用される可能性がある。
こうした交通分野での活用に加え、防災面でも、長期保存が可能な水素燃料電池は災害時の予備電源として活用できる。
このように、社会全体で水素利用を拡大するには供給インフラの整備が欠かせない。しかし、日本では国内需要を満たすだけの供給量確保が難しく、海外からの輸入が主体となることが想定されるため、サプライチェーンの構築には課題が多い。
長沢
天然ガスは、60年前に初めて日本に液化天然ガスが輸入されて以来、時間をかけて設備やサプライチェーンが整備されて徐々に利用が増え、広く普及するに至りました。海外からの水素輸入推進においても、新たなインフラの整備と利用拡大を同時に進めることが求められます。しかし、長大なサプライチェーン整備には多額の設備投資が必要であるため、投資判断のハードルは高いといえます。
また、サプライチェーンを構築しても価格が高いままでは需要は生まれにくい。欧米のように、供給と需要の両面から水素事業を活発化させる必要がある。
白野
正直なところ、水素は供給価格の高さがネックとなり、需要がまだまだ限定的という状況です。現時点では水素を導入する事業者はまだそれほど多くなく、普及拡大に向けては需要拡大と供給拡大の両方の視点を持ち、価格低下を目指してサプライチェーン全体を作っていくことが重要となります。

桝谷
水素社会の実現という前人未踏の壁に挑むために、業界横断的に多くの企業・団体が水素市場創出・活性化に取り組んでいます。
水素バリューチェーン推進協議会の設立と
水素ファンドの立ち上げ
そうしたなか、水素バリューチェーン構築のための課題解決に向け、さまざまな関連事業者が協力して取り組むために、2020年12月に設立されたのがJH2Aだ。JH2Aは、自動車メーカーやエネルギー供給企業、インフラ整備企業、金融機関、研究機関など多様な業界の企業や団体で構成され、水素の社会実装に向けた事業創出や政策提言を担っている。三井住友フィナンシャルグループは、トヨタ自動車、岩谷産業と共にJH2Aの共同会長を務めるとともに、水素プロジェクトへの資金供給手段等を検討する金融委員会の委員長も務めている。
長沢
供給価格低減や新たな技術開発、規制などのルール整備やプロジェクトの資金調達などのハードルは、水素に関わる事業者にとって共通の課題でありながらも、一つの企業の取組だけで解決できるものでもありません。企業の垣根を越えて課題解決に取り組むため、JH2Aの設立に至りました。
黎明期にある水素産業で水素の供給価格を引き下げるには、政府の支援とともに、民間でも水素供給・利用に繋がる具体的なプロジェクトの検討を進めることが必要です。これまで資源エネルギー庁などで政策支援に関する議論が進められ、今後具体的な補助金制度が始まる予定ですが、この補助金と併せて、JH2Aでは需要拡大に繋がるプロジェクト検討や水素ファンドによる資金供給を行い、水素の社会実装を本格的に後押ししていく予定です。
目下の課題は、水素エネルギー生産・供給のシステム構築だが、将来的に水素社会を実現するためには消費者の理解促進も重要だ。現在JH2Aでは、将来世代に向けた水素に関する情報発信・啓蒙など草の根の取組も進めている。
長沢
JH2Aでは、小学生を対象に水素から電気を作る科学実験を行うワークショップや、大学生向けの講義、一般消費者向けの展示などにも取り組んでいます。長期的な視点では、本格的な普及に向けて将来世代への働きかけも重要です。このような体験が子どもたちの記憶に残り、将来の進路を考える際のきっかけとなったり、水素やエネルギーに関心をもつ消費者が増えたりしてほしいと思います。
水素ファンドによる新たな水素事業の創出や資金循環が始まり、将来世代に向けた教育・啓蒙にも取り組むなか、SMBCグループは今後どのような展開を図るのか。最後に3名がそれぞれの視点からその展望を語った。
長沢
国内においては、補助金制度等が実行されると具体的な事業化の話も増えてくると思います。銀行が資金供給で役割を果たすことが求められるため、案件形成にしっかり関わっていきたいと思います。

桝谷
SMBCグループが持つ国内外の幅広いネットワークを活かし、グローバル案件のサポートも行っていきたいです。
白野
黎明期から水素に取り組んできたSMBCグループだからこそ、これまでに蓄積してきた知見や事業者との連携が強みになります。今後、産業全体での取組がさらに具体化する際、『水素といえばSMBCグループ』と言われるような存在になりたいと考えています。
水素社会の実現は、エネルギーシステムの分散化やカーボンニュートラルの推進を支える重要な柱となる。この目標に向けてさまざまな業界や企業が協力し、新たな技術開発やインフラの整備を進めている。
この過程では、これまで接点のなかった企業や競合関係にあった企業が、水素の普及や社会全体の再生可能エネルギーへの移行という共通の目的に向けて真剣に議論を重ね、協力関係を築いている。そして金融機関もまた、企業と共にリスクを取りながら新たな事業や市場の創出に挑戦している。
水素の普及を目指すこうした取組そのものが、新たな社会の共創プロセスであり、より豊かで持続可能な未来を築く一歩となるのではないだろうか。
