三井住友銀行

三井住友銀行

2021年3月31日時点

(写真)永代通りから仰ぎ見る三井住友銀行の本店ビル

約4,300万人の個人のお客さま(グループ合算)、約8万社の貸出先(三井住友銀行)など国内外のお客さまに対して、グループ一体となって複合金融サービスを提供するSMBCグループの中核銀行。

会社情報

商号 株式会社三井住友銀行
事業内容 銀行業務
本店所在地 東京都千代田区丸の内1-1-2
頭取 髙島 誠
(三井住友フィナンシャルグループ取締役を兼任)
従業員数 28,104名(就業者数)
Webサイト 株式会社三井住友銀行
財務情報
財務情報

沿革

三井住友銀行は、2001年4月に住友銀行とさくら銀行が合併して発足した。三井住友銀行が誕生してからまだ20年であるが、その源流は、1876年創立の三井銀行、1895年創業の住友銀行、さくら銀行の前身の一つで1990年に三井銀行と合併した太陽神戸銀行へとつながっている。さらに遡ると、住友・三井の事業は、約400年に及ぶ歴史を有している。

住友銀行

商家としての住友家は初代・住友政友に始まるが、住友家の発展は、政友の義兄・蘇我理右衛門が、1590年に京都で開業した銅精錬で成功を収めたことに端を発する。住友家は別子銅山開坑などにより銅山経営を拡大させる傍ら、1660年代には両替商(注1)を営んだ。住友家による金融業はその後一旦中断したものの、1873年か1874年頃に大阪で並合業(注2)を開始した。並合業の規模が順調に拡大したことに加え、銀行条例の施行(1893年7月)、日清戦争後の企業設立ブームに伴う旺盛な資金需要などに後押しされる形で、住友家は1895年11月に住友銀行を設立。第一次世界大戦後の復興景気や国内店舗の増設などにより、業容を急拡大させていった。

(写真)住友銀行設立当時、中之島にあった住友本店
住友銀行設立当時の住友本店(中之島)
(写真提供:住友史料館)

昭和に入ると、当局の方針に基づき銀行の合併・統合が進められるなか、住友銀行はその意向に沿って、1945年7月に阪南銀行と池田実業銀行を吸収合併した。1948年10月には、財閥解体により大阪銀行への改称を余儀なくされたものの、1952年12月、住友銀行に行名復帰した。

戦後、日本経済の発展を背景にした、企業の旺盛な資金需要に応える形で預金・貸出を伸ばした住友銀行は、収益面で都銀トップの座をしばしば獲得した。一方、他の都銀上位行(注3)対比で、首都圏の店舗網が見劣りするという課題を抱えていた同行は、1986年10月、東京に本社を置く相互銀行上位の平和相互銀行を吸収合併した。

バブル経済崩壊後、住友銀行は1994年度決算で都市銀行として初となる赤字決算に踏み切るなどして不良債権処理を進めた。1997年に入ると、大手金融機関の経営破綻を契機に金融不安が高まり、金融機関の提携や統合が相次いだ。こうしたなか、住友銀行とさくら銀行は1999年10月、全面提携と将来の統合で合意したことを公表し、2001年4月、両行は合併した。

三井銀行

三井家の事業は、三井高利が1673年に、京都と江戸に三井越後屋呉服店を開業したことに始まる。越後屋の事業拡大に伴い両替商との取引も大きくなったことから、高利は1683年に江戸で三井両替店を創業した。三井両替店は幕府の公金取扱などにより事業を拡大させるとともに信頼を築いていった。明治に入ると、それまでの事業と信頼をもとに、日本最初の私立銀行である三井銀行を1876年7月に創立。以降、三井グループの中核企業として、グループの発展を金融面から支えた。

(写真)三井銀行創立当時の本店
三井銀行創立当時の本店
(写真提供:公益財団法人三井文庫)

1943年4月、三井銀行は第一銀行と合併して帝国銀行となり、さらに翌年8月には十五銀行と合併した。ところが、戦時体制下という特殊な状況で誕生した帝国銀行はなかなか行内融和が進まず、終戦後の1948年10月、旧第一銀行系行員からの分離要請をきっかけに、帝国銀行は第一銀行と袂を分かつこととなった。

1954年1月に行名復帰した三井銀行は、1968年4月には東都銀行を吸収合併するなど規模拡大を模索。急拡大する大企業の資金需要に対応するとともに、個人・中小企業取引にも注力した。しかしながら、戦前の少数店舗経営や第一銀行との分離による店舗の少なさが影響し、資金量の制約がネックとなっていた。こうした課題の解決を図るとともに、自己資本比率規制への対応力を強化するために、1990年4月、三井銀行は太陽神戸銀行と合併し、太陽神戸三井銀行が発足した。

太陽神戸銀行

太陽神戸銀行は、1973年10月に神戸銀行と太陽銀行が合併して誕生した。神戸銀行は、三十八銀行や神戸岡崎銀行など兵庫県下の主要7行の合併により1936年12月に設立された銀行で、その後も県内の銀行を吸収合併しながら成長し、兵庫県で圧倒的なシェアを占めていた都市銀行下位行だった。

一方、太陽銀行の源流は、東京都内の無尽会社(注4)統合のために1940年12月に設立された大日本無尽である。戦時体制下の統合政策により、東京都のみならず関東近県の無尽会社を次々と吸収合併・営業譲受し規模を拡大した。1948年4月に日本無尽へ改称、1951年10月に日本相互銀行へ改称、1968年12月には普通銀行に転換して都市銀行となり、太陽銀行へ商号を変更した。

関西圏と首都圏という地域的な補完関係にあった神戸銀行と太陽銀行は、1973年10月に対等合併してリテール取引に強い都市銀行中位行となった。さらに太陽神戸銀行は、店舗の多さゆえの効率性の問題や、大企業取引および国際業務の強化という課題等に対応するため、1990年4月に三井銀行と合併した。

さくら銀行

三井銀行と太陽神戸銀行が合併して発足した太陽神戸三井銀行は、1992年4月にさくら銀行と改称した。都市銀行上位行として邦銀最大規模の資金量を活かした収益力強化を図ったものの、合併と同時にバブル経済が破綻。合併効果が実現する途上で不良債権問題への対応を迫られることとなり、さくら銀行は2001年4月に住友銀行との合併に踏み切った。

三井住友銀行

2001年4月に誕生した三井住友銀行は、厳しい金融経済環境下、約1.5兆円の公的資金を抱えての船出となった。収益力強化とコスト削減などにより不良債権の圧縮を進めると同時に自己資本の増強を図り、2006年10月に公的資金を完済した。その傍ら、2002年12月に三井住友フィナンシャルグループを設立し、持株会社を中心としたグループ運営体制へと移行した。

(画像)「三井住友銀行、本日営業開始」の全面広告(2001年4月)
「三井住友銀行、本日営業開始」の全面広告

2008年以降の世界金融危機を乗り切った三井住友銀行は、お客さま起点に立ったビジネスモデル改革を進めるとともに、SMBC日興証券やSMBC信託銀行など拡大するグループ各社との連携・協働の推進、航空機リース事業やBTPN(インドネシア)の買収などグローバルビジネスの展開、デジタル革命等を受けた新たなビジネスの創出などに取り組んでおり、SMBCグループの中核銀行として積極的にビジネスを拡大している。