「年が改まる」とは、私たちの精神構造の特徴をよく映し出した表現である。元日は大晦日からの連続に過ぎないけれども、年が改まれば、何か一新となる変化を期待すると同時に、自らもやる気を奮い立たせるのが常である。
環境問題という視点からは、2010年も陰鬱な出来事の連続だった。4月、米国ルイジアナ州のメキシコ湾沖合80キロメートルで操業中の石油掘削施設「ディープウォーター・ホライズン」が爆発したことに端を発する原油流出汚染の規模は全米史上最大となった。7月、米国民主党は温室効果ガス排出を制限する包括的なエネルギー・温暖化対策法案の議会での審議を断念した。オバマ大統領の選挙公約であった温室効果ガスの排出削減目標設定と排出量取引制度導入は事実上棚上げとなった。12月、メキシコで開かれたCOP16会合は、京都議定書に続く新たな枠組みについても、京都議定書の延長の是非についても結論を出せず、結論を2011年12月に南アフリカのダーバンで開催されるCOP17会合に先送りしただけで終わった。
企業の環境経営にとって、最も悩ましいのは、世界の気候変動対策の道筋について、その方向観さえ見通せなくなっていることだろう。長期的に見れば、対策が緩和されたり、白紙に戻ったりすることはないと理解されている。しかし、いつ、どのような方向で縛りがかかるか見当もつかないので、とりあえず静観するしかない。こうした環境担当責任者の声を2010年、いくつも聞いた。取り組みの停滞は、結局、企業として後々高いコスト負担を余儀なくされることにつながる。こんな懸念も広がっている。
2011年は、内外の環境政策、とりわけ気候変動対策に画期的進展があることを願わずにはいられない。「挑戦」の感覚を取り戻すことを急がなければ、私たちに未来はない。