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国際的協調枠組みの意義

 2011年は、食料品価格の高騰という新たなグローバル課題に世界が直面するかたちで幕を開けた。その原因の1つに、気候変動問題があることは間違いない。

 2月15日には、世界銀行が高騰する食料品価格の監視報告書を発表した。この発表記者会見でゼーリック総裁は2008年に世界各地で起こった暴動を教訓に、「のんびり構えている暇はない。世界の食料品価格は危険水準に達している」と警告を発した。さらに、4,400万人が「極度」の貧困に陥っているとの見方を示した。同時に、「G20で、食料品問題を最優先で議論する必要性がはっきりした」と世界の首脳に呼びかけた。

 皮肉な見方かもしれないが、食料品価格問題は、停滞している国連主導の温室効果ガス削減の国際的な枠組みづくりにも、なんらかの転機をもたらすかもしれない。過剰流動性がもたらした投機資金が背景にあるのは間違いないが、同時に我々は「地球の容量限界」というものを、いよいよ肌で感じないわけにはいかない局面を迎えているからである。

 今世紀に入り、世界は多国間協定よりも、地域協定もしくは二国間協定でさまざまな問題に対処するという傾向を強めてきた。自由貿易に関する事柄ではWTOの包括的交渉よりFTAやTPPのような個別交渉が重視されてきたし、気候変動に関する事柄についても、気候変動枠組条約締結国会議が、回を重ねても議論の進展を図れないことを尻目に、いくつかの国々が二国間クレジット制度構築に走り出している。日本もこの先頭集団にいる。

 しかし、2010年のレアアース問題や今回の食料品価格問題が突き付けているのは、二国間の交渉をできるところから重ねていくというアプローチでは、迫り来る「奪い合いの経済」の本質をなんら変革できないという事実ではなかろうか。国益という言葉を否定はしない。しかし、「持続可能な発展」という言葉に、国益を超えた地球益を前提とする国際的な協調枠組みの必要性が込められていることも、再確認しておきたい。

(株式会社日本総合研究所 足達 英一郎)