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途方もないギャップをどう受け止めるか

 「中央環境審議会地球環境部会2020年以降の地球温暖化対策検討小委員会・産業構造審議会産業技術環境分科会地球環境小委員会約束草案検討ワーキンググループ合同会合」という長大な名前の会議で、2020年以降の国際枠組みを採択しようと2015年末にパリで開催されるCOP21に向けて、日本が提出する約束草案が議論されている。

 2013年、日本は、2020年度における排出削減目標を2005年度比で3.8%減とする目標を策定し、公表している。一方、中長期には、2007年6月にドイツで開かれた主要国首脳会議(ハイリゲンダム・サミット)で、当時の安倍首相が全世界の温室効果ガス排出量を2050年に現状比で半減するという「美しい星50(クールアース50)」計画を公表。それが、2009年11月の気候変動交渉に関する日米共同メッセージ(2050年までに自らの排出量を80%削減することを目指すとともに、同年までに世界全体の排出量を半減するとの目標を支持する)に継承され、現時点に至っている。

 そして、目の前には、2013年度の日本の温室効果ガス排出量(速報値)は2005年度比1.3%増、1990年度比10.6%増だという現実がある。

 この足元から未来を見たときの途方もないギャップに、世上では「わが国が削減目標で世界をリードする必要が果たしてあるのか」「限界費用の高い国内政策にとらわれず、技術開発に専念すべき」「国民のコスト負担を伴う問題。ぜひ、地に足の着いた目標にしてほしい」などCO2厭戦論のような指摘も相次ぐ。

 しかも、そこには、日本の人口減少や産業構造変化を前提にしたくないという思惑も見える。「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」などのフレーズが理想論として排される時代に、気候変動対策を行動に移すことの困難さを実に思い知らされるが、「目標が高ければ高いほど、人はそれに見合って成長する」という格言を、あらためて噛み締めたいと思う。

(株式会社日本総合研究所 足達 英一郎)