日本の創薬エコシステムの革新に挑む。武田薬品×アステラス×三井住友銀行、3社合弁「シコニア・バイオベンチャーズ」誕生の舞台裏と展望

かつて日本が、新薬創出大国だったことをご存じでしょうか。医薬産業政策研究所が発表した「世界売上高上位医薬品の創出企業の国籍 -2022年の動向-」という調査報告によると、日本は2008年時点で、米国に次ぐ数の医薬品を開発していました。しかし、2022年には世界6位まで順位を落とし、新型コロナウイルス感染症流行時はワクチンや治療薬の開発で他国から後れを取りました。
その要因は、近年劇的に変化している創薬環境にあります。海外では創薬スタートアップが医薬品を開発する例が増えています。一方で、日本の大学などのアカデミアは「創薬シーズ」と呼ばれる創薬技術を持つにもかかわらず、さまざまな要因により事業化に至らないケースが多いのです。
新薬創出の競争力を取り戻すべく、立ち上がったのがシコニア・バイオベンチャーズです(以下、「シコニア」)。大手製薬会社の武田薬品工業株式会社(以下「武田薬品」)とアステラス製薬株式会社(以下、「アステラス」)に加えて株式会社三井住友銀行の共同出資により設立された同社は、創薬エコシステム(新薬開発を支える研究・資金・企業の連携体制)の刷新とともに、AIやデジタルの力も活用しながら、創薬業界のイノベーションに挑戦しています。具体的な事業内容や、3社の思いについて、シコニアの代表取締役を務める藤本氏とともにインタビューで明らかにします。
日本の創薬エコシステムが抱える「創薬シーズ創出の溝」とは
シコニアの創業背景を教えてください。
シコニア 藤本創業背景には、日本の創薬エコシステムが抱える課題「創薬シーズ創出の溝」があります。

藤本 利夫氏
これまでの創薬は、資本力のある製薬会社が、基礎研究から試験、販売までを包括的に担い、業界を牽引してきました。しかし近年は、大学などのアカデミアで生まれた最先端の研究を創薬スタートアップが育て、その研究を企業が提携や買収をするなどして、最終的に医薬品として患者さまの元に届けていく「分業型」へと変化しています。

米国では、大手製薬企業が開発ステージまで「創薬シーズ」を進めたアカデミアとの提携や、同様のステージの創薬スタートアップを買収するといった例が多くあります。一方で、日本ではそのような例はまれです。
なぜ日本に創薬スタートアップが生まれにくいのか。その要因は日本の創薬エコシステムにあります。
創薬の早期段階を担う、大学などのアカデミアや創薬スタートアップに資金とノウハウがいき渡っておらず、「創薬シーズ」と呼ばれる創薬技術を持つにもかかわらず、実用化・製品化につながらないというケースが数多く存在するのです。とくに、研究は進んでいても製品化の視点が欠落していることも多く、投資する側が採択しにくいという構造的なギャップが存在します。
さらに創薬スタートアップを支援するベンチャーキャピタル側にも大きな違いがあります。米国のベンチャーキャピタルは、かなり早期から多額の投資をしていますが、日本の創薬スタートアップの資金調達額は、米国の十分の一ほどしかありません。これだけ資金規模の差があると、研究開発にも歴然たる差が生まれてしまうのは当然です。
このような日本の創薬エコシステムが抱える「創薬シーズ創出の溝」を解決するために、発足したのがシコニアです。
シコニアでは、日本のアカデミアや創薬スタートアップを早期から包括的にサポートし、ベンチャーキャピタルや製薬企業から資金やノウハウが提供されるまでの体制や計画づくりを支援します。研究と製品化の間のギャップを埋め、企業へ橋渡しをする創薬スタートアップの育成を目指します。
創薬シーズ探索・インキュベーション(起業初期の育成支援)に取り組み、創薬スタートアップを包括的に支援
具体的にはどのような支援をおこなうのでしょうか。
シコニア 藤本まず、アカデミアや創薬スタートアップがもつ創薬シーズに対して、企業視点での「目利き」をおこないます。製品化につながる可能性を、独自の審査基準で評価をするのです。次に、ベンチャーキャピタルや製薬会社の投資条件をクリアするために、必要な検証や研究開発計画の策定を追加で実施します。
実験結果が揃い、投資を受けられるレベルまで研究が進んだあとは、新会社設立やシリーズA調達など、ビジネス面でのサポートもおこないます。出資が決まったあとは、徐々に関与を薄め、最終的には新会社が自立的に事業推進をできる体制へと移行する予定です。
業界を変革する前例のない挑戦を。同じ志をもつ三社が共同出資
シコニアは、武田薬品、アステラス、三井住友銀行の三社による共同出資で設立されました。その経緯を教えてください。
武田薬品 加藤創薬インキュベーションの構想自体は2021年からあり、もともとは武田薬品単独での取り組みを検討していました。しかし、それではどうしても「武田薬品の会社」という印象が強くなります。創薬エコシステムそのものを変革するには、できる限り自社の色を薄める必要がありました。

加藤 省吾氏
また、早期段階での創薬シーズ育成は、武田薬品としても国内では前例のない挑戦であり、リスクもあります。また、1社のみの重点領域に縛られることなく、幅広い視野を維持した上でおこなうべきと感じていました。同じ志をもつ仲間と一緒にリスクを分担し、育成活動をしながら広く協働できないかと考えていたのです。
ビジョンに共感してくれるパートナーを求めて何十社と声をかけ、そのなかでいちはやく手を挙げてくれたのがアステラスさまと三井住友銀行さまでした。
アステラス 兼光アステラスは創業期からオープンイノベーションに注力しており、創薬エコシステムの整備は製薬業界における重点課題だととらえていました。とくにアカデミアでおこなわれる早期段階の研究支援をしたいと思いつつ、自社だけでは限界があると思っていました。そのような背景もあり、シコニアの構想を聞いたとき、すぐに「これはやるべきだ」と感じましたね。

兼光 直敏氏
加えて、武田薬品さまだけでなく、異業種プレイヤーである三井住友銀行さまの参画予定も知り、社会課題に複数の側面から立ち向かう強い体制が整っていると感じました。この体制ならば、長年変えられなかった業界を変えられるかもしれないと思い、参画を決定しました。
三井住友銀行 三瓶三井住友銀行としても、2021年ごろの構想初期段階から参画に向けた検討を始めており、藤本 利夫さまとは繰り返し議論を重ねてきました。私自身、製薬・ヘルスケア業界に長年携わり、素晴らしい創薬シーズをもつアカデミアや創薬スタートアップと、資金力のある企業との間でM&Aやライセンス提携が進まない現実を目の当たりにしていました。

三瓶 智英氏
シコニアの枠組みは、まさにその解決策となるものだと感じ、その思いは、対話を重ねる中で確信へと変わっていきましたね。
前例のない取り組みのため、社内での意思決定には多少時間を要しました。最終的には、銀行ビジネスも十分に考慮したうえで共同出資に踏み切りました。SMBCグループ全体で今、社会課題の解決に注力していることも、参画に向けた大きな後押しとなりました。
創薬シーズの目利きを進め、2年以内の新会社創設を目指す
2024年8月からの事業スタートとのことで、本格的な稼働はこれからかと思います。現在の状況(2025年5月時点)を教えてください。
シコニア 藤本2025年3月にサイエンティストの採用を完了し、現在はさまざまな創薬シーズのリストアップと目利きを進めている段階です。具体的な支援はこれからで、年内に1~2件の研究プロジェクトの立ち上げを目指しています。さらに2年以内には、最初の新会社を1件設立し、その後は年間2~3件のペースで新会社設立ができる体制を構築する予定です。
通常、基礎研究から試験までには10年程度かかると言われています。どのようにして、目標とするペースでの創薬サイクルを実現させるのでしょうか。
シコニア 藤本共同出資の3社をはじめ、各業界のリーディングカンパニーがノウハウをシェアし、スピード重視で開発を進めていきます。はじめから製品化を見越して開発することで、短期間での新会社設立を目指します。
また、AIをはじめとする最先端技術も積極的に取り入れ、効率的に事業を進めるつもりです。とくに、創薬の初期段階ではAI活用が加速しており、スクリーニング(有効成分のふるい分け)や候補化合物(新薬のもとになる成分)の設計に取り入れる企業が増えています。シコニアでは、初期研究でのAI活用はもちろん、以降のフェーズにおけるAI活用についても有効性を厳しく検証しつつ、積極的に取り入れる予定です。
アステラス 川島AIは、事業開発や市場性評価といった将来的な価値予測にも活用できます。アステラスには、デジタル人材が多く在籍しており、シコニアへのメンタリングチームにも参画していますので、早い段階からAI活用に関する支援が可能です。
武田薬品 加藤武田薬品でもAI活用はあらゆるシーンで進んでおり、社内に分散する情報をAIで整理・統合するシステムを運用しています。そのシステムを特定の生成AIと組み合わせることで、例えば社内で中止または中断していた早期創薬段階のシーズやプロジェクトに関して、社内に蓄積された膨大な実験データのなかから、シコニアでの育成に必要なデータを一括検索・抽出しパッケージ化して渡す、ということも可能だと考えています。
「日本から新しい治療法を」日本の創薬エコシステム刷新の切り札に
最後に、シコニアおよび共同出資をおこなった3社それぞれの今後の展望について教えてください。
シコニア 藤本米国にフラッグシップ・パイオニアリングという早期研究のインキュベーションから事業化まで行っている会社があります。多くの科学者を抱え、mRNAのような世の中を変えうる基礎研究を20年かけて行うなかで、モデルナのような会社を生み出したのです。
シコニアとしても、研究自体を育てながら企業を生み出していくという形を実現したいと思っています。将来的にはブレイクスルーを起こす可能性のある研究を早期の段階で見出し、製品化まで結びつけることで、日本の創薬に革新を起こしていきたいと思っています。
武田薬品 加藤今回のプロジェクトを通じて育成された創薬スタートアップが増えれば、武田薬品としても将来の提携先候補が増えることにつながります。長年日本が抱えていた創薬エコシステムの課題解決とあわせて、自社の存在感をさらに強めることにもつながるのではと期待しています。
武田薬品 藤本この期待を実現するために、武田薬品として、グローバルのR&D組織との密な連携のもとで、シコニアのニーズに沿った後方支援を実行していきます。私個人としては、シコニアやそこから生まれる新会社に、「挑戦したい」と思う人財が集い、グローバルに羽ばたいていく、そのようなアントレプレナー輩出の場に発展していくことを願っています。

藤本 潤氏
アステラス 兼光シコニアは、日本が現状を打破するための切り札だと思っています。3社でスピード感をもって事業を進め、苦しんでいる患者さまの元に、日本から新しい治療法を届けたいです。
アステラス 川島シコニアの優れたサイエンティストが目利きし、柔軟な意思決定により迅速にIND申請(治験開始前の承認)まで到達できる実績を築くことで、「まずはシコニアに相談しよう」という流れが自然と生まれるでしょう。必要な支援を提供できるパートナー企業でありたいと考えています。

川島 朋子氏
三井住友銀行 三瓶三井住友銀行としては金融機関としてのノウハウや幅広いネットワークを活用し、シコニアが求めるパートナー企業の紹介、創業した創薬スタートアップのグロース支援などを積極的におこなう予定です。
また、本プロジェクトを通じて創薬エコシステム全体の課題をより詳細に把握し、既存の金融サービスにとらわれない、新しい支援策の提案も検討できればと考えています。SMBCグループ全体のナレッジを結集させ、これまでよりさらに一歩踏み込んだ関わり方に挑戦してまいります。
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シコニア・バイオベンチャーズ株式会社 代表取締役社長
藤本 利夫氏
京都大学 医学部卒 医師。京都大学関連病院を経て、独ルアードランドクリニック、フライブルグ大学、米国メイヨークリニックなどで胸部外科医として勤務。2006-2017年日本イーライリリー研究開発本部長執行役員、取締役副社長を歴任。17年、武田薬品工業株式会社 湘南ヘルスイノベーションパークのGMに着任後、18年4月に湘南アイパークを開所。2023年4月、アイパークインスティチュート株式会社 代表取締役に就任。シコニアと兼任。
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武田薬品工業株式会社
センターフォーエクスターナルイノベーション(CEI) 日本/APAC ヘッド加藤 省吾氏
2008年武田薬品工業株式会社入社。開発担当者として、臨床試験や開発戦略、製品導入、プロジェクトマネジメントに携わる。2017年米国ボストンへ出向し、グローバル事業開発に従事し、事業売却やスピンアウト案件をリード。帰国後は湘南研究所を拠点に、国内外での外部連携の契約交渉リードを担当し、現在、日本およびアジア太平洋地域のR&Dでの外部連携を統括。
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武田薬品工業株式会社
センターフォーエクスターナルイノベーション(CEI) 日本/APAC 主席部員藤本 潤氏
2008年武田薬品工業株式会社入社。化学研究者として9年間、代謝疾患や癌領域における創薬研究に従事。その後、研究組織を中心とした複数の事業開発案件に携わり、日本におけるスピンアウト会社設立、外部機関との戦略的提携、日韓ベンチャー企業との早期コラボレーションのためのプラットフォーム構築などを実行。薬学博士。
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アステラス製薬株式会社 事業開発部
事業戦略グループ スカウティングアンドトランザクションリード 博士(生命科学)川島 朋子氏
2007年アステラス製薬株式会社に入社、薬理研究者として免疫およびがん領域のディスカバリー研究に従事。AK プロジェクト(アステラス製薬と京都大学の次世代免疫制御を目指す創薬医学融合拠点)への派遣や2度の産休を経て、2022年より現職。現在は主に国内外の企業や研究機関との研究提携を担当。
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アステラス製薬株式会社 事業開発部
インキュベーション推進グループ 次長 博士(医科学) 修士(経営学)兼光 直敏氏
2004年アステラス製薬株式会社(旧 藤沢薬品工業)に入社。薬理研究者として糖尿病、生活習慣病、泌尿器・腎疾患の創薬研究に従事した後、開発本部でがん、遺伝子疾患、ミトコンドリア病等の新薬開発プロジェクトのリーダー・マネージャーを担当。2022年より事業開発部で抗がん剤のライセンシング・企業買収、及び日本のオープンイノベーション・創薬エコシステムの構築を担当。
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株式会社三井住友銀行
コーポレート・アドバイザリー(CA)本部 GIBCグループ 部長代理三瓶 智英氏
2012年に株式会社三井住友銀行へ入行。法人営業部を経て、2014年よりCA本部にて製薬業界を担当し、セクター軸での事業戦略提案に従事。現在は、各産業が抱える中長期的課題をお客さまと共に解決する事業開発業務を推進。