量子コンピューターは金融業務をどう変えるか――オックスフォード大学発スタートアップ・OQCとの共催ワークショップで見えた現在地
金融機関の実務では、既存のコンピューターでは現実的な時間で解ききれない最適化問題や評価計算が数多く存在します。こうした課題は、量子コンピューティングで解決することができるのか。SMBCグループは、金融業務への応用可能性を早くから探り続けてきました。
2026年7月29日、イギリス・オックスフォード大学発の量子コンピューター企業、オックスフォード・クァンタム・サーキッツ(OQC)を招いて開かれたワークショップも、その取り組みのひとつです。
今回はワークショップを主導した三井住友銀行 デジタル戦略部 バイスプレジデント・細沼 充氏に企画背景を伺うとともに、参加者の日興リサーチセンター 投資工学研究所 所長CMA・二俣 新氏、三井住友銀行 市場テクノロジー部 R&Dグループ グループ長・中山 純氏、三井住友DSアセットマネジメント 運用部運用開発グループ グループヘッド・廣瀬 勇秀氏の3名に、量子コンピューターへの期待などをインタビューしました。
金融の現場が抱える、解けない計算
今回のワークショップで議論の中心になったのは、量子コンピューターの金融分野における二つの活用先です。膨大な組み合わせから最適解を探す「ポートフォリオ最適化」と、複雑な商品の価格を大量の試算から計算する「デリバティブ評価」。後者では、量子モンテカルロシミュレーションをはじめとする複数の手法が紹介されました。
企画者である細沼 充氏はSMBCグループで量子コンピューター領域を担当し、過去には初心者向けの勉強会を開催したこともあります。そこで、今回は一歩踏み込んで、金融関係者の関心が高いテーマを取り上げることにしたそうです。グループ各社から幅広く参加者を募ったことで、実務に携わる担当者から量子コンピューターに詳しい研究者まで、多様な顔ぶれが集まりました。
細沼私自身、元トレーダーでデリバティブの知識はありますが、現在は業務で毎日シミュレーションを行うわけではありません。とはいえ、フロンティア技術を発展・浸透させるには、一部の専門家だけではなく、まだ詳しくない人にも関心を持ってもらい、現場の方々に理解を広げていくことが大切です。専門知識があまりない方にも参加いただけたのは、非常に意義ある機会だったと捉えています。
細沼 充氏
参加者の声を聞くと、感じている課題感や量子コンピューターに期待する事柄はさまざま。クオンツ投資戦略(※1)の担当として、量子技術の活用余地を探っている中山氏が、とくに注目していたのはHFT(高頻度取引)における活用でした。
※1 数学・統計モデルを用いて、データから定量的に投資判断を行う手法。アナリストによる企業調査を軸とする従来型の運用に対し、モデルが算出した数値をもとに銘柄選定や売買を決める。
中山1万分の1秒レベルで反応するような取引の世界では、既存のコンピューターでは到達できない計算速度が必要になる場面もあります。規模の大きさで解けないものが解けるようになる軸と、解けるものをより速く解けるようになる軸、両面で量子コンピューターの活用を検討しています。量子コンピューターがHFTと同等の反応速度で計算できれば、収益に直結する可能性がある。ただ、それは多分30年ほどかかると思っています。
中山 純氏
一方、二俣氏が着目していたのは、株式や債券、預金といった多様な資産・負債の明細単位での組み合わせ最適化でした。
二俣最適化は銘柄数が増えるほど組み合わせが爆発的に増え、従来の計算資源では解き切れなくなります。例えば株式に絞っても従来の計算方法では上場4,000銘柄から最適な100銘柄を選択することはできなくなります。またそれ以前に、複雑なデリバティブの評価を高速に行いたいというニーズも、既存技術では十分に満たせていません。
二俣 新氏
また、資産運用会社で研究開発を担う廣瀬氏は、量子コンピューターへの期待を寄せます。
廣瀬可能な限り早く解いてくれる手段が欲しい。非線形性を含む問題や、AIのアテンション機構のように計算量が二乗で増大する処理についても、既存技術の限界を感じています。
廣瀬 勇秀氏
量子コンピューターには大きく二つの方式があります。組み合わせ最適化に特化した「アニーリング方式」と、さまざまな計算に汎用的に対応できる「ゲート方式」です。これまで実用化の検討が進んできたのは前者でしたが、3名に共通していたのは、その先にある汎用的なゲート方式をどう使いこなすかという関心でした。
OQCが示した量子コンピューターの現在地
ゲストスピーカーを務めたOQCは、イギリスのオックスフォード大学発祥のスタートアップ企業。2017年に創業し、同年にシード資金を調達。2021年には欧州初のQCaaS(Quantum Computing as a Service)提供を実現しています。量子コンピューターをクラウド経由で利用できるようにするサービスです。
同社のソリューション・アーキテクト福田 善之氏は、半導体の微細化が物理的・経済的な限界に近づく一方、金融データや金融商品の構造は複雑化していると説明。デリバティブ評価やリスク計算の中には、古典コンピューター(※2)では計算負荷が非常に大きくなるものがあるとして、量子コンピューターへの期待を語りました。
※2 量子コンピューターと対比して、現在広く使われている一般的なコンピューターを指す呼び方。
福田 善之氏
その後、本国の研究員とともに、量子もつれを利用して複数の変数間の依存関係をモデル化する考え方や、量子モンテカルロシミュレーションの仕組みなどを紹介。量子もつれとは、複数の量子ビットの状態が強く相関し、それぞれを独立して記述できなくなる現象です。
量子コンピューティングをポートフォリオ最適化や金融の意思決定にどう生かせるのか、その可能性を具体的に検討する内容となりました。QAOA(量子近似最適化アルゴリズム)――アニーリングの考え方に着想を得ながら、ゲート方式のマシン上で最適化問題を解くアルゴリズム――の実用性などをめぐり、活発な質疑応答も交わされました。
もう一人の講演者、OQCのシニア・ソリューション・アーキテクト、セディック・ハキム氏は、「私たちがどんな会社で、将来何を作ろうとしているかをお話しできたのは良かったです」と振り返りつつ、「実用化は、アルゴリズムの改善とハードウェア性能の向上、両方向からのアプローチが交わる点で実現するはずですが、量子コンピューター自体がまだあまり理解されていません。皆さんが理解を深められるよう、私たちが翻訳者としての役割を果たしていく必要があります」と述べました。
セディック・ハキム氏
実用化を見据え、いま現場で取り組む理由
ワークショップ終了後、中山氏は、OQCが2028年に量子コンピューターによる「商業的優位性」の確立を目指すロードマップを示したことに触れ、「30年かかると思っていた技術が、3年後ぐらいに実現できるかもしれないと感じた」と驚きを語りました。AIが第3次ブームで一気に普及したように、量子コンピューターもどこかで急激に進むかもしれないと期待しつつ、「とはいえ、本当の実用化までは10年程度、もしくはもう少しかかるのではないか」とも予想。ゲート方式の量子コンピューターの中で、今すぐ現場で使えそうなものを見つけるのは難しいのが現状ではないかと意見を寄せました。
廣瀬氏も同様に、「ゲート方式の状況は何となく理解できましたが、やはりまだまだ時間を要するという印象を持ちました」と語ります。CPU・GPU・量子コンピューターを、どのような処理に、どう使い分けるべきか、それぞれの得意・不得意を把握する重要性を指摘しつつ、既存の知識を土台に取り組める手応えも感じたそうです。さらに廣瀬氏は、技術と現場の間の「翻訳」の重要性にも言及し、「最適化問題は、厳密に解く必要のないケースも多く、現場レベルでどこまで簡略化してよいかは、現場でないとわかりません。求めていることと実現できることをすり合わせる翻訳者の存在が欠かせないでしょう」とも。最後に「コスト削減やスピード向上がどの程度期待できるのか、定量的な効果をもう少し検証したい」と付け加えました。
二俣氏は「バリアオプション(※3)のリスク評価やデリバティブの価格評価に、量子モンテカルロシミュレーションを用いた実例が紹介され、非常に参考になりました」と感想を述べました。今後、OQCが紹介した参考文献も読み進めながら、「実際の業務で量子モンテカルロシミュレーションを適用できる場面を見つけ、実装して、実務を担う部署での段階的な導入につなげていきたい。とくにリスク評価やデリバティブの価格計算において、より高速かつ高精度の手法を導入できると良いと考えています」と意欲的な姿勢を見せてくださいました。
※3 バリアオプション:あらかじめ定めた価格に到達したかどうかで、権利が発生したり消滅したりするオプション取引。
これら多方面の意見・感想に対し、イベント企画者の細沼氏は「1年前と比べて具体的な成果が出始めている」と振り返ります。
「一部の詳しい人間だけがやっているうちは、技術は成熟しません。10年前、AIをやっていると言えば『そんなことをやっているの?』という反応でしたが、今やAIを使っていない人の方が珍しい。量子コンピューターもいずれそうなってほしいですし、そうならなければいけない。だからこそ、我々デジタル戦略部が主導するだけでなく、現場がしっかり取り組んでくれているのは非常にありがたいことですし、今後もどんどん推進していきたいと考えています」
今はまだ、実用化までは遠いとみなされることの多い量子コンピューティング。しかし、その技術に興味を持つ人たちの裾野は、SMBCグループ内で着実に広がりつつあります。
PROFILE※所属および肩書きは取材当時のものです。
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OQC シニアソリューションアーキテクト
セディック・ハキム氏
北海道大学にて、数値流体力学を用いた氷床の流動シミュレーションや高性能並列計算の研究に従事。2018年にウェザーニューズに入社し、深層学習を活用した気象データ解析、GPUによる大気シミュレーション、気象データ配信システムの研究開発に携わる。2025年10月より現職。 同大学にて地球科学博士号取得。
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OQC ソリューションアーキテクト
福田 善之氏
ミュンヘン大学(LMU)にて、量子リザバー計算の性能評価や量子機械学習を用いた画像認識を研究。在学中、ドイツのARRK Engineering、E.ON Deutschlandでソフトウェア開発に携わる。2026年6月より現職。同大学にて情報科学修士号取得。
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三井住友銀行 デジタル戦略部 バイスプレジデント
細沼 充氏
複数の金融機関および事業会社において、投資・トレーディング業務を経験。ブロックチェーン、AI、ビッグデータなどの先端技術を活用した事業開発にも携わる。現在は三井住友銀行デジタル戦略部にて、企業への戦略投資と先端技術の調査・活用検討に取り組む。
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三井住友銀行 市場テクノロジー部 R&Dグループ グループ長
中山 純氏
2023年三井住友銀行入行。野村アセットマネジメント、東芝研究開発センターを経て2026年4月より現職。クオンツ投資戦略開発・運用、量子技術の金融応用に一貫して従事。
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日興リサーチセンター 投資工学研究所 所長CMA
二俣 新氏
大手SI、保険会社を経て2006年に日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)に入社。現当社の資産運用研究所へ出向、リスク管理部マーケットリスク管理課を経て、研究業務を希望し2022年に再度当社へ出向し2023年より現職。主にリスク管理業務、モデル開発業務に従事。プライベートでは大学院生となりファイナンスを専攻中。
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三井住友DSアセットマネジメント 運用部運用開発グループ グループヘッド
廣瀬 勇秀氏
運用会社数社でのクオンツアナリスト、クオンツファンドマネージャー業務経て、2016年より三井住友DSアセットマネジメント株式会社(旧・大和住銀投信投資顧問)。現在は、運用部運用開発グループ グループヘッドとして、主に運用部門向けに計量技術・AI関連業務の提供を行うグループを統括。日本証券アナリスト協会編集委員・試験委員、日本ファイナンス学会理事。
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