(コラム)

SMBCコンシューマーファイナンスの沿革

1960年前後、人々の旺盛な消費意欲を背景に消費者金融会社やクレジットカード会社などが相次いで登場した。そうした状況下、SMBCコンシューマーファイナンスの源流となる「関西金融株式会社」も1962年3月に大阪市で設立された。1980年に「プロミス株式会社」に社名変更した同社は、わが国の経済成長を背景に貸付残高を着実に増加させていった。

しかしながら、一部の中小消費者金融会社による高金利や過剰な取り立てが社会問題化し、1983年に、いわゆる貸金業規制法(注27)が制定された。出資法(注28)も改正され、厳しい業務規制や上限金利の引き下げなど消費者金融業界の経営環境は一転して厳しいものとなった。

プロミスは、自動与信システムの開発や店舗の大幅削減、貸出金利の引き下げなどの改革を実施し、1980年代後半の好況にも支えられて業績を回復させた。1990年代も、テレビコマーシャルの実施、株式公開(1993年店頭登録、1994年東京証券取引所第二部上場、1996年同第一部指定替え)、海外での消費者金融業進出(1992年以降)、自動契約機の導入(1995年)などにより、イメージ向上と経営体質強化を図った。

一方、バブル崩壊後の長引く景気低迷により個人破産件数や多重債務者が増加し、商工ローン問題(注29)と相まって、消費者ローンの高金利や一部業者の過剰な取り立てなどが再び社会問題化。2000年6月に出資法上の上限金利が40.004%から29.2%に引き下げられたほか、2004年1月には悪質な違法業者の取り締まり強化のために改正貸金業規制法(いわゆるヤミ金融対策法)が施行された。

この間、経営環境の悪化により消費者金融会社の再編・淘汰が進み、大手業者においても銀行との業務・資本提携の動きが見られるようになった。プロミスは、2000年に三和銀行(現三菱UFJ銀行)およびアプラスとの合弁でモビット(現SMBCモビット)を設立。2004年には当社と業務・資本提携を結び、三井住友銀行およびアットローンとの3社によるカスケード事業(注30)を展開。順調に業容を拡大させた。

(写真)提携の調印式で握手するプロミスの神内博喜社長と当社の西川善文社長
提携の調印式で握手するプロミス神内博喜社長(左)と当社西川善文社長(右)(2004年6月)

しかしながら、2006年1月の最高裁判決以降、過払い金返還請求が増加するとともに、2006年12月に成立、2010年6月に完全施行された改正貸金業法により、グレーゾーン金利の撤廃・総量規制の導入が実施されたことから、資本基盤の強化と戦略の見直しを余儀なくされることとなった。プロミスは2012年4月に当社の完全子会社となり、同年7月に「SMBCコンシューマーファイナンス株式会社」に社名を変更した。

(画像)サービスブランド「プロミス」のロゴマーク
サービスブランド「プロミス」のロゴマーク