(コラム)

日本総合研究所の沿革

シンクタンク、コンサルティング、ITソリューションという3つの機能を併せ持つ日本総合研究所の歴史を遡ると、1967年1月に創設された住友銀行事務管理部受託班(同年7月に受託課に昇格)にたどり着く。受託班は、住友銀行が導入した大型コンピュータの余力を活用して、外部の企業や地方公共団体等から事務計算を受託するために設置された。

その後、受託業務が順調に拡大するなか、1969年2月、「日本情報サービス株式会社」が新設され、受託課は住友銀行から分離独立することとなった。同社の株主構成は、住友銀行10%、日本電気30%、住友電気工業25%、住友商事25%、総合リース(現三井住友ファイナンス&リース)10%とされた。住友銀行の出資比率が10%にとどまったのは、銀行出資が主となれば、公正取引委員会から一般受託業務の比率を制限される恐れがあったためであった。

(写真)大阪市西区江戸堀にあった日本情報サービス大阪本社のビル
日本情報サービス大阪本社

その後、同社は、思い切った設備投資と新しい技術動向に積極的に挑戦する全社的な努力で、次々と高度な業務分野を開拓し、総合情報サービス企業として業容を拡大していった。1989年12月には、調査・研究業務に従事する「総合研究本部」を新設し、シンクタンク機能を追加するとともに、社名を「株式会社日本総合研究所」に改めた(注24)。シンクタンク機能を加えた背景には、内外における経済、社会情勢が大きく変貌しつつあるなかで、幅広いリサーチを行い、的確なコンサルティングと政策提言のできる総合研究所が必要、との判断があった。社名に「住友」の名をあえて冠さなかったのは、住友銀行や住友グループにとらわれない中立的な立場で研究・提言を行い、日本を代表する国際的なシンクタンクになることを目指したためである。

(写真)日本総合研究所発足披露パーティ
日本総合研究所発足披露パーティ(1990年7月)

1995年4月、日本総合研究所は、中堅・中小企業に対する極めて実践的なコンサルティング力ときめ細かなサポート体制に定評のある「住友ビジネスコンサルテイング」(注25)との対等合併に踏み切った。合併の狙いは、従来両社がマーケットセグメント別にすみ分けてきたコンサルティング業務を一本化し、企業規模にとらわれない業種横断的なお客さまニーズに対応することであった。この合併により、官民にまたがるリサーチ・コンサルティング業務を担うプロフィットセンターとしての「研究事業本部」が発足することとなった。さらに、2001年4月には、日本総合研究所にさくら総合研究所(注26)の調査部門が営業譲渡され、シンクタンク機能のさらなる強化が図られた(注27)

2002年12月に三井住友銀行の持株会社として当社が設立されると、2003年2月、日本総合研究所は当社の100%子会社となった。グループ会社の再編による効率化を進めるなかで、日本総合研究所に三井住友銀行のシステム企画・開発・運用管理業務を全面委託することになり、2003年4月、同行の情報システム部門の要員約500人が日本総合研究所に加わった。以来、日本総合研究所は、SMBCグループの情報システムの中核を担う「グループIT会社」としての役割を果たしている。

もっとも、高品質で安定性の高いシステム作りが最優先されるSMBCグループ向け部門と、コマーシャルベースの機動力・コスト競争力が強く要求される外販部門が社内に併存することになり、部門運営の多様化・複雑化が次第に目立つようになった。そこで2006年7月、日本総合研究所は、外販部門を分社化し、100%子会社「株式会社日本総研ソリューションズ」を設立した。その後、システムの巨大化・複雑化が進むなかで、開発・保守コストの増嵩、システムリスクの拡大、システム・エンジニアの安定的な確保の困難化といった課題が顕在化し始めた。そこで、当社と日本総合研究所、日本総研ソリューションズは、2008年9月、業界トップで高い開発ノウハウと豊富な人材、リソースを併せ持つNTTデータと日本総研ソリューションズの資本・業務提携に基本合意した。2009年1月、日本総合研究所は、日本総研ソリューションズの株式50%をNTTデータに譲渡するとともに、同社の社名を「株式会社JSOL」に変更した。これに伴い、JSOLは、NTTデータの連結子会社、当社の持分法適用会社となった。JSOLの分離により、日本総合研究所のITソリューション事業は、SMBCグループ向けに特化することとなった。